ベルリンの壁は、街の道をどう変えた? 193の通りがふさがれた28年 |地図が動く #08
答え
- ベルリンの壁は193の通りを一夜でふさぎ、1つの街を28年切りました。
- 家の正面が境になった通りと、止まらず通る幽霊駅16駅がありました。
- 今も市電の線路の95.5%が旧東側にあり、線の跡が地図に読めます。
ほかの言い方ベルリンの壁ベルリンの壁の跡幽霊駅ベルナウアー通り
動画
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解説
動画の流れ
ベルリンの壁は、ベルリンという1つの街の通りと線路をどう変えたのでしょうか。1961年8月13日の朝に193の通りがふさがれた街で、家の正面が境になった通り、電車だけが止まらずに通った地下の幽霊駅、そして今の市電の地図に残る線の跡を、地図の早送りでたどります。
表1 壁の数
| 項目 | 値 | 備考 |
|---|---|---|
| 壁が囲んだ長さ | 全体 155 km | ベルリン市公式(1989年7月31日時点) |
| うち市街の東西の境 | 43.1 km | 同上 |
| うち西ベルリンと周りの東ドイツとの境 | 111.9 km | 同上 |
| 壁の期間 | 1961年8月13日〜1989年11月9日 | 28年2か月27日(日付の差は10,315日) |
| 東西ベルリン間の検問所 | 8か所 | 通り7+フリードリヒ通り駅1 |
注: 飛び地シュタインシュテュッケンでは、1971〜72年の土地の交換で西側が直接つながる道を含む17.1ヘクタールを得て400万ドイツマルクを払い、1972年に回廊の道ができました(Berlin Wall Foundation)。壁の高さは世代と場所で違い、最後の世代の一例で約3.6 mです。
表2 通り抜け口の移り変わり
193と約174は、数える物と範囲が違うので差は取れません。
| 時期 | 数 | 中身 |
|---|---|---|
| 1961年8月13日未明 | 193の通り | 境にかかる通りがふさがれた数(HISTORY誌) |
| 同じ朝(別の数え方) | 68か所 | 閉まった国境通過点(同上。193の一部ではありません) |
| 後まで残った市街の検問所 | 8か所 | 通り7+駅1(下の一覧) |
| 今 | 約174か所(概数) | 主な道が旧壁の全周を横切る所(自分の計算) |
後まで残った検問所のあった通りは、北からボルンホルマー通り、ショセー通り、インヴァリーデン通り、フリードリヒ通り(チェックポイント・チャーリー)、ハインリヒ=ハイネ通り、オーバーバウム橋(歩く人だけ。恒常的な歩行者の通行は1972年から)、ゾンネンアレーです。これにフリードリヒ通り駅を加えます。ベルナウアー通りのある中心部(東経13.32〜13.465度、北緯52.485〜52.555度)では、今の横切りは63か所でした(概数)。数え方は、主な道路(高速道路から住宅地の通りと歩行者専用道。私道・敷地内道路を除く)の線と旧壁の線の交点を取り、40 m以内の近くの交点を1か所にまとめたものです。上下が分かれた大きな道や橋では2か所に数えることがあります。
表3 幽霊駅16駅と再開の時期
| 駅 | 線 | 再開の時期 |
|---|---|---|
| ヤノヴィッツ橋 | 地下鉄U8 | 1989年11月11日(最初) |
| ベルナウアー通り | 地下鉄U8 | 1990年7月1日までに再開 |
| ローゼンターラー広場 | 地下鉄U8 | 1990年7月1日までに再開 |
| ヴァインマイスター通り | 地下鉄U8 | 1990年7月1日までに再開 |
| アレクサンダー広場(U8ホーム) | 地下鉄U8 | 1990年7月1日までに再開 |
| ハインリヒ=ハイネ通り | 地下鉄U8 | 1990年7月1日までに再開 |
| シュヴァルツコップ通り | 地下鉄U6 | 1990年7月1日までに再開 |
| 自然博物館前(当時・北駅) | 地下鉄U6 | 1990年7月1日までに再開 |
| オラニエンブルク門 | 地下鉄U6 | 1990年7月1日までに再開 |
| フランス通り | 地下鉄U6 | 1990年7月1日までに再開(2020年に再び閉駅) |
| 市中心(U6ホーム) | 地下鉄U6 | 1990年7月1日までに再開 |
| ボルンホルマー通り(地上) | 市街鉄道(Sバーン)南北線 | 1990年12月12日 |
| 北駅 | 市街鉄道(Sバーン)南北線 | 1992年まで順に再開 |
| オラニエンブルク通り | 市街鉄道(Sバーン)南北線 | 1992年まで順に再開 |
| ブランデンブルク門 | 市街鉄道(Sバーン)南北線 | 1992年まで順に再開 |
| ポツダム広場 | 市街鉄道(Sバーン)南北線 | 1992年3月3日(最後) |
表4 市電のいま(自分の計算・概算)
| 項目 | 値 |
|---|---|
| 市域内の線路の長さ(描かれた線の合計) | 旧西側 19.3 km/旧東側 410.7 km |
| 割合 | 旧東側 95.5%/旧西側 4.5% |
| 旧西側への一番の入り込み | 旧境から約2.4 km |
| 旧西側にある名前のある停留所 | 21件(ヴェディング〜モアビット〜中央駅) |
計算の条件: Geofabrikのベルリン切り出し(2026-10-28版)をベルリン市域で切り、線路として描かれた線(複線・車庫の線を含む)を旧西ベルリンの多角形の内と外で振り分けました。運行の系統の長さではありません。旧西側の市電は、再統一の後(最初の延伸は1994年)に延びた区間です。
表5 使った地図とデータの一覧
| 何の | いつの | どこから |
|---|---|---|
| 壁のあった線 | 現在のOSM | OpenStreetMap リレーション 6651797(ODbL) |
| 今の道・市電・川・駅 | 2026-10-28版 | Geofabrik ベルリン切り出し(ODbL) |
| 壁の長さなど公式の数 | 1989年7月31日時点 | ベルリン市公式「数字で見る壁」 |
| 歴史の事実 | — | Berlin Wall Foundation、HISTORY誌ほか |
この回で分かる事
- 壁は遠くの国境の塀ではなく、1つの街の通りと線路を一夜で切り、28年間別の街の育ち方をさせました。
- 家の正面が国境になった通りと、電車だけが止まらずに通り抜けた地下の駅がありました。
- 壁が無くなって35年以上たっても、市電の広がり方など今の地図の上に線の跡が読めます。
出典
動画とこのページで使った事実・数字の出どころです。
参考にした文献
- ベルリン市公式「数字で見る壁」(1989年7月31日時点、Lapp/Ritter)。取った日: 企画段階(2026年10月)。
- Berlin Wall Foundation(ベルリンの壁財団)の解説、ベルナウアー通り記念館の解説、犠牲者のページ。取った日: 企画段階(2026年10月)。
- HISTORY誌の記事(193の通り、68の国境通過点)。取った日: 企画段階(2026年10月)。
- OpenStreetMap(© OpenStreetMap contributors、ODbL)。壁の線はリレーション6651797、道路・市電・川・駅はGeofabrik ベルリン切り出し(2026-10-28版)。取った日: 2026年10月。
- Ghost station と Trams in Berlin の来歴の各記事(駅の一覧と再開の時期、市電の分かれ道)。取った日: 企画段階(2026年10月)。
- 犠牲者の数の内訳(回のページに載せる場合のみ基金の分類を使います): 逃げようとして射殺された・事故死・自殺した人101/逃げようとしていなかった東西の人30とソ連兵1/勤務中の東ドイツ国境警備兵8。合計は「少なくとも140人」です。
声・音・絵
- 声: Irodori-TTS(合成音声)
- Music (OpenTracks): “近代的日本空間” by 伊藤ケイスケ/“あの日見た景色” by こばっと
